運営者プロフィール

本ページではブログ運営者のプロフィールを紹介します。

  プロフィールなので、有益な話やノウハウは書いていません!生い立ちを詳しく記載しています。

それでも「ゆらりがどんな人か知りたい!」と思っている人は読んでみてください。

生い立ちから小学校まで

生い立ちから小学校まで
※写真はイメージです

1992年に東京都で生まれました。

ゆらり
ゆらり
都会のど真ん中で育ったので「シティーガールだねぇ」とよくいわれます!

たしかにシティといえばシティですが・・・アルバイト先を調べると老人ホームしかヒットしないようなところです(笑)

おとなしい子供だった

親曰く「育てやすい子供だった」とのことです。

素直に親のいうことを聞き、ワガママも言わずすくすくと育ったようです!

小さい頃からおとなしく、喧嘩が苦手。

ゆらり
ゆらり
言い争いになるたびに気が強い子に言い負かされて泣いているような子供でした^^;


小さいころは歌うことや本を読むことが好きで、家にいるときはずっと童謡を歌っていた記憶があります。

おばあちゃんが大好きで、よく「ゆらりとおばあちゃんは一心同体だよね」と言っていました。かわいいですよね!←

小学校の時から書くことが好きだった

振り返ると、昔から書くことが好きでした。

友達との交換日記は大好物。

自分で物語を考えてノートに書くこともしていましたね!

特に何も考えず書いた読書感想文が毎年のように入賞していたので、文才もそこそこあったのだと思います(自画自賛)

しかし・・・小学校の卒業アルバムに書いた夢は「海の女になる」でした!

夏休みには毎年シュノーケリングをしていたので、海が大好きだったんです。

しかし現在、海女ちゃんにはなっていません。残念。。。

ゆらり
ゆらり
今でも海が大好きな気持ちは変わっていません。海女になりたいとは思いませんが(笑)

中学・高校時代と大学受験

中学・高校時代と大学受験
※写真はイメージです

中学から高校時代は「毎日楽しく過ごせればいい」と考えてマイペースに毎日を送っていました

ところが、中学2年生のときに慕っていた祖母が他界します。

祖母がいなくなったことで、家族間の見えないネジが外れてしまい、それまで穏やかだった家の中の空気はギスギスした感じに。

両親は月に1回以上は必ず大ゲンカし、物を投げたり、家具に当たったりすることもありました。

家庭環境はこんな感じですが、学校生活は友達に恵まれ、そこそこ充実した中学・高校生活を送っていた記憶があります。

猛勉強した大学受験

家族との関係はなんとなくギスギスしたままでしたが、それどころではなくなってきました。

大学受験の時期がきたからです。

それまでは適当なところに進学しようと思っていたのですが「どうせやるなら上を目指したい」という気持ちになったのです。

高校2年の終わりに受けた、センター模擬の英語の点数は25/200点くらいでしたが・・・

ゆらり
ゆらり
受験は1度しかないから、本気で頑張ろう!

そう思ってから約1年、予備校で毎日10時間ちかく猛勉強をつづけました。

受験で学んだ大切なこと

受験勉強をがんばった結果、「絶対に受からない」といわれていた第一志望の私立大学に合格しました!

ゆらり
ゆらり
センター試験当日の英語の点数は184点でした!

決して「自分は頭がいいから、いい大学に行けたよ」と言いたいわけではありません。

わたしにとって大学受験は人生の糧となる成功体験になりました。

同じ時間努力しても、同じ結果が出るとは限らない。でも、正しい方向性で努力すれば成果は出せる。と学んだのです。

ライターも同じで、とにかく書き続けてもスキルが上がったり、収入がアップしたりするわけではありません。

SEOや文章の型を学んで、先人から教えをもらい、正しい方向性で努力しなくてはスケールしないんですよね。

このときに学んだことは、受験だけでなくすべての物事に通じると感じます。

英語漬けの大学生活

大学生活
留学先のニュージーランド。羊の数は人口の7倍

晴れて大学に入学しました!

ただ・・・第一志望の大学に入ったはいいものの、喜びは束の間でした。

というのも講義が英語で行われる学部で、帰国子女でないわたしは、教授が話す内容を理解することすらできませんでした。

「大学では英語を学んで留学したい」と思い、自分で選択した学部なのですが、意識を高めすぎたために地獄を見ることになります^^;

いきなり英語漬けの日々になり、ストレスを抱えて入院したことも。

「なんとか英語をできるようにならねば!」と思い、英会話サークルに入って必死に練習する日々でした!

留学して異文化を学ぶ

最初こそ大変でしたが、在学中にニュージーランド留学をしたり、英会話サークルに入ったりして英語力を飛躍的に上げられました。

ゆらり
ゆらり
TOEICで最高870点を取れたのは嬉しかったです!

大学時代に初めて一人で海外に旅に出て、言葉がうまく通じず、孤独に押しつぶされそうになったこともあります。

しかし、日本以外の国に行って現地の文化や空気を感じることは、自分にとって大きな喜びになりました。

大学卒業後もほぼ毎年、友達と海外旅行に出かけています。

  • 日本特有の窮屈さ
  • 過度な協調性
  • 人目を気にする国民性

こういった日本独特の雰囲気は、国外に出たからこそわかることだと思います。

特に繊細な気質を持っている人にとって、海外に出てみることはすごく新鮮で有意義な時間ですよ!

周りの目を気にせず過ごせる「外国のカオスな雰囲気」が好きです(笑)

とにかくよく寝ていた

ちなみに大学時代は毎日11時に起床していました(笑)

土日もひたすら寝ていたような記憶があります。。

ゆらり
ゆらり
このときにWebライターなどの勉強をしておけばどんなによかったことか・・・と思います(笑)

ちなみに、今でもよく寝るので毎日9時すぎに起床しています!

ロングスリーパーなので仕方ないですよね。(と自分に言い聞かせている)

社会人になってからの5年間

民間企業に就職
※写真はイメージです(笑)

英語にヒーヒーいいながらも、なんとかギリギリの単位数で大学を卒業し、民間企業に勤めることになりました。

入ったのは、就活でとりあえず内定をもらえた通信系の中小企業です。

集合住宅向けのインターネット回線を売る営業職に就きました。

通信企業で営業職に従事

新人の頃のわたしは一言でいうと「ポンコツ」でした!

ゆらり
ゆらり
なぜか競合の事務所に出向いて謎の商談したり、事務手続きにつまづき号泣したり、先輩方はとても大変だったと思います。。。

それでも、4年目になったときには一通りの流れを覚えて、頼られることも増えました。

数字も順調に伸びていき、チームで社長賞をいただいたこともあります。

しかし、売上数字が上がって喜びを感じるのとは裏腹に、体調がおかしくなっていました

  • 職場にいると自然と涙が出る
  • 忙しくて常に焦燥感を抱えている
  • 出勤時電車に乗ると吐きそうになる
  • 寝ているときに心臓がバクバクする

こんなことがあり、違和感を覚えて病院にいったところ「適応障害」と診断され、会社を休むことに。

「やりがいを感じていたはずなのに、自分の心身をだましながら仕事していたのかな・・・。」と思ったのを覚えています。

会社を休んだことは、これまでの働き方を見つめなおすきっかけになりました。

メンタルを病んで営業事務へ異動

部門の上層部や人事の方は環境を考慮して、復帰後はわたしを営業事務部門へ異動させてくれました。

ゆらり
ゆらり
そこでの1年は営業の時とは比べものにならないくらい穏やかでびっくりしました。

営業のときは1日歩き回って、クライアントと商談して、事務作業をして、帰宅すると疲れ果ててすぐ寝ていました。

しかし営業事務になったら「帰宅しても疲れていない!」と感じたのです。

ゆらり
ゆらり
仕事もそこまで大変ではなく、人間関係も良好でした。
ただ、営業事務は本当に単純な作業ばかり。

資料の封入や案件の詳細をシステムに入力する‥といった内容が大半で、ラクなのですが達成感はありません。

今考えると、デジタルツールで効率化して新たな仕事を生み出せたらよかったのですが、当時のわたしにはそこまでのアイデアは思いつきませんでした。

結局「営業事務で成長している」という実感が得られず、スキルアップのために転職を考え始めます。

スキルアップを見据えて転職

新卒で5年働いた企業を離れ、転職後はシステムインテグレータに入社しました。

前にいた会社とは規模が桁違いの大企業です。

英語のスキルも活用できそうだったので、新たな環境に行けることに対してわくわくしていたのを覚えています。

再び営業職となって、サーバーやDX(デジタルトランスフォーメーション)に関わるサービスを扱いました。

会社で働くことが合わないと感じる

転職は無事にできたのですが、働きはじめてすぐに「自分は他の市場では全く役に立たない」と思い知ります。

新しい職場で扱うサービスや業界に関するスキル・知識がゼロで、まるで新人と同じ。

さらに、前の会社では新卒メンバーとしてかなり大切にされていたのですが、中途入社のわたしはまったく環境に馴染めませんでした。

そして運悪く馬が合わない上司に当たってしまいます。

  • 毎日飲みにつれていかれ、延々と自慢話を聞かされる
  • マウンティング、ダメ出しの嵐
  • 急遽夜21時に会議を入れられる

こんな日々が続きました。

帰ったら何もする気が起きず「明日が来ないでほしい。やめたい……」と毎日考えていました。

成長するために転職したのに、前職でメンタルを壊したときと同じような状況です。

この頃から「わたしは会社で働くことは合わない気がする」とひしひしと感じるようになります。

HSPを知り、会社をやめてフリーランスに

会社に勤めずに働ける道を探し始める

この頃に1冊の本を読んで「HSP」という言葉を知ります。

診断テストをやってみると、見事に自分が当てはまることに気づきました。

HSPとは
HSPは五感が敏感だったり、人の気持ちを察することが得意だったりする気質を持っています。会社にいると人一倍ストレスを感じやすいことも特徴です。

それまでわたしは「自分は他の人に比べて、体力やタフさが足りないのだ」と思っていました。

  • 人より長く寝ること
  • 体調を崩して働けなくなったこと
  • 他の人の視線や言動を人一倍気にしてしまうこと

これらについて「他の人と違うから直さなくてはいけない」と思っていたのです。

でも「HSPはもともと持っている気質だから、直すものではない」と知り、すごく心が楽になりました。

それと同時に「このまま会社に勤めていても多分また体調を崩すからなんとかせねば!」

と考え、インターネットで色々と調べものをします。

ブロガーになろうと決意

「会社をやめたい」と思い、色々調べて見つけたのが「ブロガー」という職業です。

すぐにでも会社を辞めたかったので「よし、ブログで食べていこう!」と早々に安易な決意をします(笑)

見よう見まねでWordPressを使ってサイトを作成して、なんとか記事をアップしていきました。

しかしブロガーになると決めた当時は、コロナウイルスが発見されたばかりの時期

ブログを作ったもののGoogleアドセンスの審査が止まってしまい、1円の収益化すらままなりませんでした。

ブロガーからWebライターに

コロナ禍でGoogleアドセンスの審査が止まり、わたしのブロガーになる夢はすぐにおじゃんになります。

「審査が再開するまでライターとして仕事を受けてみるか」と思い、Webライターを名乗りはじめます。

そんな中で仕事を受けつつ色々調べてみると、Webライター業で生計を立てている人がいると知りました。

ゆらり
ゆらり
優秀な先輩方はWebライターを始めて1か月目、2か月目で月20万稼げているではありませんか!

「これだ!」と思い、即行動。

結果として、ここで始めたWebライターの仕事が自分の本業になります。

Webライターとして生計を立てる

Webライターの仕事に魅力を感じたわたしは、転職した会社を早々に辞めて独立します。

最初は時給100円くらいで、収入金額にするとたった1万円。

でも9か月目以降は月20万円に到達し、2年目になってからは月収50万を超えることも増えました。

もし新卒で入った会社に勤めたままだったら・・・居心地がよすぎて「フリーランスになる」なんて考えに至らなかったでしょう。

メンタルに不調をきたして、異動して、転職したからこそ「独立する選択肢」が生まれたんだと思います。

ゆらり
ゆらり
今はフリーランスの生活に慣れてしまったので、もう会社員に戻るのは無理でしょう(笑)

プライベートでは4年ほど付き合った彼氏と結婚。

現在は専業ライター兼主婦をしています。

複数のメディアで情報発信を開始

現在はライター業をやりつつ、Webライター初心者やHSPの人に向けて情報発信をしています。

月に20万稼げるようになるまでの過程を記したKindleは1,000冊以上ダウンロードされ、ベストセラー入り。

またTwitterなどのSNSも活用し、同じような悩みを抱える人に向けて解決策を発信しています。

それぞれのリンクは以下にまとめていますので、興味がある人は見てみてください。

まとめリンク

おわりに

プロフィールは以上です。

今後も電子書籍、ブログ、ラジオなどでWebライターやHSPに関する情報発信をしていきます。

引き続きよろしくお願いいたします。

ゆらり
ゆらり
最後までご覧いただきありがとうございました!