フォロワー4万人まで育てたSNSをやめた理由

今の時代、SNSを使うのは当たり前になっていると感じます。

企業も個人も、アカウントをつくって発信して、知ってもらう機会を増やす。こうした流れが広がり、私が身を置くライターの世界でも、SNSアカウントを持っていない人のほうが珍しくなっています。

私は2020年に独立して、その頃からXを中心にさまざまなSNSを使いました。全部あわせると4万人以上にフォローしていただいています。

が、最近はほとんどSNSを使わなくなりました。Xやインスタに限らず、「いいね」や「フォロー」の機能があるツールからは、一定の距離を置いています。

どの程度距離を置いているかというと、スマホのSNSアプリは全部削除しました。Webブラウザもログアウトしています。

ときどき仕事で必要になるので、週1回くらいログインします。でも、要件が終わったらすぐにタブを閉じるので、タイムラインを見ることはあまりしません。

今回はそんなSNSと距離を置いてみた経緯と、感じたことについてまとめます。

SNSをやめた理由

SNSをやめた理由をずらーっと書きます。

攻撃的な投稿が目につく

よく言われることですが、SNSは攻撃的な投稿が伸びる傾向にあります。

誰かと誰かが、相手の状況や前提を知らずに、140文字という限界のある文字数でケンカしていたり、意見をぶつけあったりしている様子をよく見ました。

ライターに関する投稿でも「いや、その仕事の仕方はないよね」とか「これを知らないライターは終わってる」といった情報を見る機会が増えて、ちょっと心が疲れていました。

「本当にそうかな?」と思う情報が多い

これもSNSあるあるかもしれませんが、「本当かね!?」と思う情報が多いと感じます。

たとえば成果報告。SNSはどうしても自分を誇張したくなる場なので、「月100万円を達成した」とか「AIを使いこなして仕事をバンバン受注した」とか、それが1回限りであっても、いい成果をアピールしがちな気がします。

他の人の成果報告にも、いいところをアピールしようとする自分に対してにも、ちょっと嫌気がさしてきました。

浅い思考のまま止まってしまう

「AIを使えないライターは生きていけない」のように、短文で言い切ってしまうような投稿にも疑問を持つようになりました。

さまざまな背景や要素が絡み合うなかで、一概にAIを使えない=ライターとして生きていけない、とは言えないと思うんですよね。

昔の私は結論バーン!と書くのが正義だと思っていたので、同じような投稿を数えきれないほどしていたのですが・・・。

発信できるボリュームが限られるSNSを使うと、浅い思考のまま止まってしまうような危機感を覚えました。

今は、より高度な思考訓練ができる場に移ったほうが自分のためになるかもしれないと思い始めました。

いいね・拡散・フォローを求められる

SNSで仲のいい人とつながるようになって、いいね・拡散・フォローを求められるプレッシャーも感じるようになりました。

仲のいい人やクライアントを応援するのは理想だと思うのですが、複数のSNSがあり、フォロワーもたくさんいるなかで、全員の動向は把握しきれません。

私なりに頑張っていたつもりではあるのですが、それでも「フォロー(いいね・拡散)してくれないんですね」と言われることが増えました。(相手も冗談まじりだとは思いますが)

そのうち、SNSで他の人の動向をチェックしてアクションすることが、仕事のタスクのようになりました。

最初は何も感じなかったのですが、振り返ると「他の人に嫌われないための活動」になっていたと思います。

「アクションしてくれるのが当たり前」と思われても困るので、SNSと距離を置こうかなあという考えに至りました。

知らない人からあれこれ言われる

SNSの投稿が伸びると、いろいろな人たちの目に留まるようになり、あれこれと言われる回数が増えます。

私も過去バズった投稿には、必ずといっていいほどアンチっぽい人のコメントがつきました。

深い傷を負うほどではありませんが、こうしたコメントは記憶に刻まれるものです。

SNSの利用者が増えると、インフルエンサーのように影響力が増えて、たくさんの人に見てもらえる恩恵もあります。

ですが、最近のSNSはちょっと治安が悪すぎると感じます。私は、そういう世界の住民としてSNSに入り浸りたいわけではないと思いました。

他人と比較してしまう

比較しても意味がないと思っていても、やっぱり比較してしまう。それがSNSです。

全然違う業界の人であっても、キラキラして見えますし、同じ業界の人ならなおさらです。

自分よりはるかにすごい人だとわかっているのに、「私もこの人のように成果を出せたのではないか」と思ってしまうときがありました。

いくらコツコツと積み上げて、自身のフォロワーが増えても、この感情はゼロにはなりません。

ライター仲間、プライベートの友達、テレビで見るような芸能人・・・。相手がだれであれ、同じ感情を抱きます。

であれば、情報をシャットダウンしてしまったほうが心の健康のためにはいいのではないかと感じました。

SNSを見て時間がとける

長いときは1日1時間くらいSNSを使うことがあり、「時間の無駄遣いじゃね?」と思うようになりました。

SNSを見るよりも、仕事をしたり人に会ったりしたほうが充実した時間を過ごせると思います。

それにタイムラインを見ると、前述のように「うらやましいなあ」とか「この人たちケンカしているなあ」とか、心がざわざわするので、メリットが薄いんですよね。

まわりに見張られている気分になる

自分が思う以上に、SNSで発信した情報は人に見られている&覚えられているものです。

仕事の仕方、プライベートで行った場所、直近の予定など(自分で発信しているんですけど)を把握されていると、ちょっと活動のしづらさを覚えるようになりました。

SNSの運営会社があまり好きじゃない

『スマホ脳』という本によると、SNSの運営会社の人たちは自分の子どもにSNSを使わせないそうです。

しかも、「こんなに人間の脳に悪いものをリリースしてしまって申し訳ない」くらいに思っているそうです。

つまり、自分たちは使わないけれど、自社の利益のために、長い時間SNSを使ってもらえる仕様につくりこんでいるのです。
「新しい情報を見たい」「いいねをもらえて嬉しい」という、人間の脳が快楽を感じるポイントをおさえているんですね。

こういった情報を見て、「運営会社の人たちが心からいいサービスだと思っていないものを積極的に使いたくないな」と感じました。

性格が悪くなるような気がする

SNSで投稿を重ねるうちに、なんだか自分の性格が悪くなっていくような気がしました。

私の経験上、伸びる投稿は「もっとこうしたほうがいいよ」とか「こうしたら稼げたよ」的な内容でした。

「それっぽい上から目線の投稿」とも言えるかもしれません。

「伸びる投稿をしよう」と思って発信すると、自分を大きく見せる必要があります。それに、他の人とマウントを取り合うような会話になることもちょくちょくありました。

そうした機会が増えるうちに、なんだか自分の性格が悪くなっているような危機感を覚えました。

SNSでは言えないことがある

SNSをやっているうちに、発信内容よりも「その人が投稿しないこと」のほうが気になるようになりました。

そして、発信しない内容のほうが大事なのではないかと思うようになりました。

今のSNSは拡散性が高く、炎上するリスクもあるので、言いたいことを全部言える場ではないと感じています。

誰かがSNSで発信する話よりも、その人から直接聞いた話のほうが本音に近く、現実味を帯びているのではないでしょうか。私自身も、SNSでは言わない意見やスタンスを持っています。

だから、今後はSNSで情報収集するよりも、オフラインで色々な人に会いに行くほうがいいのではないかと思うようになりました。

SNSをやめたら、頭の中が静かになった

一言でいうと、頭のなかが静かになりました。

他の人の言動を気にすることなく、自分の思うままに過ごせていると感じます。理由は以下。

・シンプルにまわりの状況がわからないので焦りや比較がなくなった
・煽りを受けることが減った(これ知らない人はやばい、AIの進化がすごい、とか)
・周りに見られる、評価されることがなくなった

SNSを使っていたときは、ずっと頭のなかがうるさくて「あの人はこんなことしているんだな~いいな~」とか「ライターはこれを知らないとやばいのか!私もやばいかもなあ」とか、いろんな情報が渦巻いている感覚でした。

今は脳内の喧騒がなくなり、かなり快適になっています。他人と比較しなくなったので「自分は今のままでいい」と満足できるようにもなりました。

SNSをやめると起こりそうな弊害

色々あるのですが、そこまで大きな問題ではないかなと思っています。SNSをやめて起こる(起こった)弊害と、それに対する考えを書きます。

情報収集ができない→必要なときだけログインする

SNSが使えなくても、本・オンラインコミュニティ・YouTubeなど世の中にはいろいろ情報源があります。

なので、そこまで弊害はありません。

どうしてもSNSから情報収集をしないといけないときは、パスワードを入れてログインしています。それだけで十分です。

交流が減る→個別にオフラインで会う

SNSを使った交流はたしかに減ったのですが、代わりに「オフラインで人と会おう」と思うようになりました。

というのも、SNSでの交流は「テキストのみ」なので、行き違いが発生しやすいです。

相手と考え方が違ったり、前提を共有できなかったりして、下手するとトラブルのもとにもなるわけです。

だったら、直接会ったほうがお互い気持ちよくコミュニケーションがとれて楽しいよね!と思うようになりました。

SNSで交流できなくても、どうしても会いたい人には個別に連絡すればいいかなと考えています。

影響力が減る→収入は減らないので問題なし

SNSを使わなくなると、フォロワーが減ります。

私のインスタはピーク時は2.9万人フォロワーがいたのですが、今は2.3万人になっています。

つまり影響力が減りました。ですが、収入は減っていません。

私はインフルエンサーの仕事をしているのではなく、フリーランスとして仕事をもらっているので、影響力がなくなっても特に問題ありませんでした。

まわりの状況がわからない→必要なときに見に行く

以前はSNSでまわりの人が何をしているか把握していたのですが、今はできなくなりました。

が、本当に把握する必要があったらまたログインして見に行けばいいだけです。

SNSで常態的にまわりの動向をチェックする必要はないと考えています。

「SNS使わなくなったな」と思われる→縁が切れたらそこまで

SNSを使わないことで「あの人、最近見なくなったな」「リアクションくれなくなったな」と思われるかもしれません。

でも、これもそこまで大きな問題ではありません。

それで縁が切れてしまったらそこまでの関係なんだと思います。

SNSをやめよう!というつもりはない

もちろんSNSにはいい面もあって、私もさまざまな恩恵を得られました。
たとえば、すてきな人たちと出会えたこと、フリーランスとして仕事を得られたこと、本を出せたことなど。

だから、他の人がSNSを使うことに反対するつもりはありませんし、「SNSをやめよう!」と主張する意図はありません。

「自分はSNSのメリットを十分享受したので、現段階では積極的に使わなくていいかなと思っている」というだけです。

今後考えが変わったら、またゴリゴリ使うかもしれません。

アカウントを残しているわけ

SNSにはログインしなくなったものの、アカウントは消さずに残しています。

私自身オンラインの仕事をする機会が多く、今の時代に一切SNSを使わないのは無理だなと感じたからです。

なので、情報収集や告知などでときどき使用しています。でも他の人の投稿を積極的に見に行くことはしませんし、交流も控えめにしています。

今の私にとってのSNSは「企業のホームページのお知らせコーナー」のようなものです。

今後必要になれば、また本格的にSNSを使うかもしれませんが、今のところは逆張りでいこうと思っています。目の前にある自分の世界を大切に過ごします。

最後まで読んでくださってありがとうございました。